大正9年ごろの古地図

※複数枚の地図を必要に応じて接合しているので若干縮尺があっていなかったりして見ずらいかもしれませんがご了承くださいm(_ _)m。
現在
開通前
古写真(古地図中赤番1)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番1)

開通後
古写真(古地図中赤番2)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番2)

上記2枚の古写真の共通点は写真中央付近に写っている宮崎履物商店と右側奥(一枚目は屋根部分のみ写ってます)に写っている三菱病院船津分院と今は暗渠となっている岩原川です。
現在の地形に昔の地形を描くとこんな感じになる

宮崎履物商店があった辺りは現在瓊の浦(たまのうら)公園の入り口辺りになります。

在りし日の三菱病院船津分院

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
被爆後

「アルバム長崎百年・戦中戦後:発行長崎文献社」より転載
原爆による火災後若干の修復を行い長崎日日新聞社(現在の長崎新聞社の前身)が使用していたという話です。
が、現在は瓊の浦(たまのうら)公園の一部となっています。



上記左側画像手前に写っている橋は玉之浦橋なのですがここが次に撮影ポイントになります。
古写真(古地図中赤番3)

「アルバム・長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在は車道が中町公園側に移動し旧道付近はビルが建っている↓ため

こんな感じ↓にしか写せないので
現在(現在の地図中赤番3)

現在の車道側に移動して撮影
撮影ポイントは黒番3

上記三箇所の撮影ポイントの特定は古地図とこのお近くにお住まいの中山石材店の親父さんからいろいろお聞きした話から推測できました。
※お聞きしたお話の中に岩原川の位置が変わっていないということを聞けたのが推測の一番のポイントです。

次は中山石材店のそばです。
開通前
古写真(古地図中赤番4)

開通後
古写真(古地図中赤番5)

上記二枚は「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
上記2枚の古写真はほぼ同じところから撮影されているようです。
この2枚にも宮崎履物商店と病院の屋根部分が写っています。
現在(現在の地図中赤番4・5)

開通前
古写真(ここは撮影ポイントが特定できなかったのですが予想としては開通後の写真と同じ建物や山(風頭山)等が撮影角度が違いますが写っているので撮影ポイント4から八百屋町通りの間と予想できます)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
特定できなかったので市役所側を向いて撮ってみた。

古写真(古地図中赤番7)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番7)

次は上記画像上部交差点付近です。
古写真(古地図中赤番8)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番8)

旧道を現在に描いてみるとこんな感じ

参考
完成当初(昭和29年)の桜町立体交差店

「アルバム長崎百年・戦中戦後:発行長崎文献社」
上記写真中央交差点右側に写っている建物は長崎商工会議所(昭和38年国道34号線拡張のため取り壊されました)で右側の建物は市水道局の旧庁舎で現在は両建物の範囲は市役所別館(市水道局)になっています。
交差点左側は勝山小学校(現在の桜町小学校)です。
次は先ほどの古写真に写っている古町側です。
開通前
古写真(古地図中赤番9・10)

開通後
古写真(古地図中赤番9・10)

古写真に写っているカステラの松翁軒のある場所はガソリンスタンドになってたのですが今は空き家状態↓みたいです
現在(現在の地図中赤番9・10)

現在は先ほど紹介した桜町交差点の下を線路が通っているためこちらには線路は通っていません
古写真(古地図中赤番11)

上記3枚の古写真は「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番11)

古写真(古地図中赤番12)

「アルバム・長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番12)

上記2枚の写真左側に建っている木造2階建ての建物は外装こそ変わってますが当時の建物のようです。
んでここからは古町から桜町まで電車が通っていた跡を撮ってきたのでうpします。

道幅自体はそんなに変わってないそうで道路左側を線路が通ってたみたいです。
そして現在勝山市場になっている場所が線路道の坂口です。

当時の石垣が残っています。


勝山市場反対側出入り口

ここから桜町立体交差天側は現在ビルが建っていますが右側斜面に当時の石垣と思われる部分↓があります。

で先ほどの桜町交差点付近

実際に歩いてみて昔の面影にめぐり合うと結構面白かったりしますよね
古写真(古地図中赤番1)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番1)

開通後
古写真(古地図中赤番2)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番2)

上記2枚の古写真の共通点は写真中央付近に写っている宮崎履物商店と右側奥(一枚目は屋根部分のみ写ってます)に写っている三菱病院船津分院と今は暗渠となっている岩原川です。
現在の地形に昔の地形を描くとこんな感じになる

宮崎履物商店があった辺りは現在瓊の浦(たまのうら)公園の入り口辺りになります。

在りし日の三菱病院船津分院

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
被爆後

「アルバム長崎百年・戦中戦後:発行長崎文献社」より転載
原爆による火災後若干の修復を行い長崎日日新聞社(現在の長崎新聞社の前身)が使用していたという話です。
が、現在は瓊の浦(たまのうら)公園の一部となっています。


上記左側画像手前に写っている橋は玉之浦橋なのですがここが次に撮影ポイントになります。
古写真(古地図中赤番3)

「アルバム・長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在は車道が中町公園側に移動し旧道付近はビルが建っている↓ため

こんな感じ↓にしか写せないので
現在(現在の地図中赤番3)

現在の車道側に移動して撮影
撮影ポイントは黒番3

上記三箇所の撮影ポイントの特定は古地図とこのお近くにお住まいの中山石材店の親父さんからいろいろお聞きした話から推測できました。
※お聞きしたお話の中に岩原川の位置が変わっていないということを聞けたのが推測の一番のポイントです。

次は中山石材店のそばです。
開通前
古写真(古地図中赤番4)

開通後
古写真(古地図中赤番5)

上記二枚は「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
上記2枚の古写真はほぼ同じところから撮影されているようです。
この2枚にも宮崎履物商店と病院の屋根部分が写っています。
現在(現在の地図中赤番4・5)

開通前
古写真(ここは撮影ポイントが特定できなかったのですが予想としては開通後の写真と同じ建物や山(風頭山)等が撮影角度が違いますが写っているので撮影ポイント4から八百屋町通りの間と予想できます)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
特定できなかったので市役所側を向いて撮ってみた。

古写真(古地図中赤番7)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番7)

次は上記画像上部交差点付近です。
古写真(古地図中赤番8)

「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番8)

旧道を現在に描いてみるとこんな感じ

参考
完成当初(昭和29年)の桜町立体交差店

「アルバム長崎百年・戦中戦後:発行長崎文献社」
上記写真中央交差点右側に写っている建物は長崎商工会議所(昭和38年国道34号線拡張のため取り壊されました)で右側の建物は市水道局の旧庁舎で現在は両建物の範囲は市役所別館(市水道局)になっています。
交差点左側は勝山小学校(現在の桜町小学校)です。
次は先ほどの古写真に写っている古町側です。
開通前
古写真(古地図中赤番9・10)

開通後
古写真(古地図中赤番9・10)

古写真に写っているカステラの松翁軒のある場所はガソリンスタンドになってたのですが今は空き家状態↓みたいです
現在(現在の地図中赤番9・10)

現在は先ほど紹介した桜町交差点の下を線路が通っているためこちらには線路は通っていません
古写真(古地図中赤番11)

上記3枚の古写真は「続・アルバム長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番11)

古写真(古地図中赤番12)

「アルバム・長崎百年:発行長崎文献社」より転載
現在(現在の地図中赤番12)

上記2枚の写真左側に建っている木造2階建ての建物は外装こそ変わってますが当時の建物のようです。
んでここからは古町から桜町まで電車が通っていた跡を撮ってきたのでうpします。
道幅自体はそんなに変わってないそうで道路左側を線路が通ってたみたいです。
そして現在勝山市場になっている場所が線路道の坂口です。

当時の石垣が残っています。


勝山市場反対側出入り口

ここから桜町立体交差天側は現在ビルが建っていますが右側斜面に当時の石垣と思われる部分↓があります。

で先ほどの桜町交差点付近

実際に歩いてみて昔の面影にめぐり合うと結構面白かったりしますよね























































































































































