2008年07月10日

11時2分のモニュメント

モニュメント1
場所は長崎大学医学部正門脇

11時2分のモニュメント
毎日、原爆が投下された時刻の11時2分に「ふるさとの町焼かれ…」で始まる「原爆許すまじ」のメロディが流れます

「長崎さるくマップブック:長崎国際観光コンベンション協会発行」より
posted by さすらいの朴念仁 at 23:02 | 地元ネタ>史跡等 | *

被爆遺構

またまた、気が重くなる季節が近づいてきた…orz

旧長崎医科大学正門門柱
被爆遺構1

旧長崎医科大学の正門門柱
この門柱は原爆による爆風をまともに受け、約10度傾き、前へ9cmずれ、台座との間で最大16cmの隙間ができました。
今では隙間にはコケも生えており、時の経過を感じると共に、この重い石柱が一瞬にして傾く爆風のすさまじい威力を思い知らされます。

「長崎さるくマップブック:長崎国際観光コンベンション協会発行」より
posted by さすらいの朴念仁 at 20:47 | 地元ネタ>史跡等 | *

2008年07月09日

如己堂2

ライトアップされた如己堂
如己堂1

撮影時期:2008年7月
posted by さすらいの朴念仁 at 09:37 | 地元ネタ>史跡等 | *

2008年05月28日

撮り溜めシリーズ3

東新橋
東新橋1

水害前の東新橋
東新橋0
「長崎・中島川と石橋群:日本ナショナル・トラスト発行」より

東新橋概要
架設年代:1673年(寛文13年)→1795年(寛政7年)流失→1800(寛永12年)
架設者:1673年・不明 1800年・官命
石工1673年・不明 1800年彦兵衛・吉次郎・清兵衛・弥三・八十八

長さ:16.1m
スパン:16.0m
拱矢:4.25m
拱矢比:3.6
巾員:4.55m

特徴
架けた人は不明だあるが、この七年前には賑橋(※1)を「何高才」が架け、又六年後には常磐橋(※1)を「魏爾潜」が架けているのでこの橋も中国人の仲間によるものでなかろうか。
寛文十三年(一六七三)に竣功しているが、寛政七年(一七九五)の大洪水で流されてしまった。親柱の碑文には「寛政七年乙卯七月十九日旧橋落、於是十二年痍申九月再造」と記してある。
即ち、五年後の寛政十二年(一八〇〇)に再建されたこの橋が現在残っている東新橋である(※2)。

「長崎・中島川と石橋群:日本ナショナル・トラスト発行」より

※1:両橋とも袋橋より下流にかかる現在はコンクリート橋
※2:1982年の大水害により崩落し修復が行なわれています。
posted by さすらいの朴念仁 at 10:07 | 地元ネタ>史跡等 | *

2008年05月22日

変な岩その3

脇岬ビーチロック(棚瀬):県指定天然記念物
脇岬ビーチロック1

○脇岬のビーチロック
ビーチロックは海浜の小石(礫)や砂が石灰質により凝結してできた一種の海浜堆積岩で,通常は砂浜と海水の間にあり,満潮時は海水に没していて,干潮時に露出する。脇岬棚瀬では5 5 程度の礫が灰黄土色の石灰質泥で固められた岩石となっており,厚さ1030 の層が幾重にも重なって形成され,園山の付け根で扇形に広がっている。干潮時に露出した所で長辺約240 ,短辺約100 で,面積約24,000 という大規模なものである。一般的にビーチロックは,熱帯の南洋諸島や北アメリカ海岸,カリブ海岸などに見られ,我が国では,沖縄のような珊瑚礁の発達する熱帯亜熱帯の海浜での存在が報告されている。脇岬のものは九州本土では北限であり,非珊瑚礁地域でこれ程大規模に発達したビーチロックは極めて珍しく,離島を除いた本土地域では最大規模と思われる。

http://www.pref.nagasaki.jp/bunkaDB/bunkazai/pdf/00457.pdf より

場所は地図参照
マップ
地図中A夫婦岩B川原大池の睡蓮園の場所です。
posted by さすらいの朴念仁 at 18:07 | 地元ネタ>史跡等 | *

2008年05月21日

変な岩

05/21 22:55 追記

@年崎海岸の礫質片岩
年崎海岸の礫質片岩
1

年崎海岸の礫質片岩
2

年崎海岸の礫質片岩
3

○年崎海岸の礫質片岩
「礫質片岩」は礫岩を原岩とした結晶片岩で、全国的にも珍しいといわれています。特に、年崎海岸の礫質片岩は原石の礫も明瞭に観察できる露頭したもので、地質学的にも学術的にも貴重なものです。

「長崎さるくマップブックH19年度版:社団法人長崎国際コンベンション協会発行」より
posted by さすらいの朴念仁 at 01:18 | 地元ネタ>史跡等 | *

2008年05月20日

撮り溜めシリーズ2

眼鏡橋
眼鏡橋1

水害前の眼鏡橋
眼鏡橋0
「長崎・中島川と石橋群:日本ナショナル・トラスト発行」より

眼鏡橋概要
架設年代:1634年(寛永11年)→1647年(天保4年)雨により大損→1648年(慶安元年)重修
架設者:僧如定
石工:1634年・不明 1648年・平戸好夢

長さ:23.0m
スパン:8.3m
拱矢:4.2m
拱矢比:2.0
巾員:4.68m

「長崎・中島川と石橋群:日本ナショナル・トラスト発行」より

○眼鏡橋
寛永11年(1634)興福寺の二代目住職・黙子如定禅師が架設。我が国最古のアーチ型石橋。中島川は海に近いので満潮時は水深が増す。そんな時に水面にアーチが映り、2つの円ができることからこう(※1眼鏡橋と)呼ばれた。昭和57年(1982)の長崎大水害で半壊し、修理した折、それまで隠されてた階段部分が露出し、以降は階段付きに。くんちの龍踊りがこの橋の上でとぐろを巻く様は、まさに圧巻。

「長崎さるくマップブックH19年度版:社団法人長崎国際コンベンション協会発行」より
posted by さすらいの朴念仁 at 00:50 | 地元ネタ>史跡等 | *

2008年05月19日

撮り溜めシリーズ1

今日は過去に撮り溜めといた写真から現在中島川に架かる
現存する石橋を紹介。
まずは、一番下流側に架かっている袋橋
水害前の袋橋
袋橋0
「長崎・中島川と石橋群:日本ナショナル・トラスト発行」より

現在の袋橋
袋橋1
栄町川下流より

袋橋概要
架設年代:不明※1648年〜1657年(慶安〜明暦)頃
架 設 者:不明
石 工:不明

長 さ:19.4m
ス パ ン:17.0m
拱 矢:4.25m
拱 矢 比:4.0
巾 員:4.40m

特徴
眼鏡橋の下流に掛けているが、眼鏡橋と同じように擬宝珠をつけ、勾欄も立派にな作りを持った優雅な姿を昔のまま残している。
石橋架橋年代がこの橋だけわからない。しかし橋の石組を詳しく調べてみたら、寛永-承応年間に架けられた眼鏡橋や高麗橋、一ノ瀬橋によく似ている事がわかった。
また長崎図法の序文に「乙朱仲冬長至日・・」と記してあることから、明暦元年(一六五五)に架けたのではないかと考えられる。
中島川石橋群中、最大の径間を誇っており(十七メートル)、技術的に大変貴重な橋である。

「長崎・中島川と石橋群:日本ナショナル・トラスト発行」より
posted by さすらいの朴念仁 at 22:39 | 地元ネタ>史跡等 | *

2008年05月18日

四郎ヶ島台場その3

こっからはさるくのコースになってるところ

入口は↓

ちょっと雑草とかか鬱蒼としてるけど人が踏み固めた跡を
辿ってくと大丈夫…途中蜂がいたけど(^▽^笑)。
posted by さすらいの朴念仁 at 21:40 | 地元ネタ>史跡等 | *

四郎ヶ島台場その2

こっからは四郎ヶ島の石垣
西側


posted by さすらいの朴念仁 at 21:09 | 地元ネタ>史跡等 | *

四郎ヶ島台場その1


四郎ヶ島台場(東西約220メートル・南北120メートル)
嘉永4年(1851)に佐賀藩によって築造された。工事は神ノ島と四郎ヶ島の間に127間の長堤を築くことから始まり、同6年(1853
)島全体が石垣で固められ、砲台が築かれた。大砲は佐賀の築地で鋳造された最新の150ポンド砲2門をはじめ34門が配備された。この工事には延べ40万人の人手と12万両という莫大な費用がかかったため、神ノ島ではなく金の島と歌われたという。現在でも周囲の石垣や塩硝蔵と推定されるトンネル、井戸など遺構比較的良く残っている。

「長崎の史跡(北部編):発行長崎市立博物館」より
posted by さすらいの朴念仁 at 21:02 | 地元ネタ>史跡等 | *

神の島


○神の島
神ノ島は、かつては島であったが、昭和42年の埋め立てによって陸続きとなった。江戸時代は佐賀藩深堀領で、かつてはキリシタンが多く潜伏した。神ノ島教会は、明治30年に建設されたが、海岸の大聖母マリア像とともに長崎港のシンボルとなっている。

「長崎の史跡(北部編):発行長崎市立博物館」より

現在の神の島は神の島公園のアジサイ夜景が有名(地元限定)ですが、古くは神功皇后伝説があったりキリシタンの歴史があったりするわけですが、幕末ごろにはこの島の南西に位置する四郎ヶ島に台場が設けられたり戦時中は現在は公園になってる場所に防空壕があったりいろいろ歴史があったみたいです。
posted by さすらいの朴念仁 at 19:50 | 地元ネタ>史跡等 | *

2008年05月17日

神の島教会と岬の聖母像


○神ノ島教会
多くのキリシタンが隠れ住んでいた神ノ島に、初代司祭ブレルがきた1876年ころに仮教会ができ、1881年2台目司祭ラゲによって美しい木造教会が建てられた。しかし、白蟻の被害がはげしく、1897年、6代目(司祭)デュランによって煉瓦造教会に建てかわり、現在の教会の土台ができた。信徒の拠出にデュランは私財を投げうって援助し、設計案も描いた。
胃を痛め山羊の乳しか飲んでなかったというデュランの生活は、つぎはぎだらけのスータンを着て清貧そのもの。教会には、デュランに対する信徒の感謝の気持ちもしみこんでいる。
教会が建て替えられたとき、木造教会の古材を使って学校がつくられた。

「旅する長崎学X:長崎文献社発行」より
posted by さすらいの朴念仁 at 23:15 | 地元ネタ>史跡等 | *

2008年05月14日

占勝閣

先日紹介したねずみ島方面へは現在女神大橋からアクセスするのが展望もよく、
おいらが住んでるところからだと市街地を通っていくよりも戸町経由で女神大橋
を渡ったほうが時間的にも良かったりするわけですが、橋が架かる以前は市街地
を通り旭大橋を渡り飽の浦方面から岩瀬道や立神・西泊を経由してってのが普通
だったわけですが、この経路の途中・岩瀬道のところに三菱所有の洋館が在ります。
posted by さすらいの朴念仁 at 17:46 | 地元ネタ>史跡等 | *

2007年12月16日

出島15

41旧出島南東ライン
地図参照


posted by さすらいの朴念仁 at 20:26 | 地元ネタ>史跡等 | *

出島14

38デジマノキと彫刻「運命の船」
デジマノキ




posted by さすらいの朴念仁 at 17:40 | 地元ネタ>史跡等 | *

2007年12月14日

出島13

34大砲と石造日時計(複製)


大砲




石造日時計(複製)


071213_34005.jpg 071213_34006.jpg
posted by さすらいの朴念仁 at 22:56 | 地元ネタ>史跡等 | *

出島12

29陶製の門柱と石門


陶製の門柱


posted by さすらいの朴念仁 at 22:09 | 地元ネタ>史跡等 | *

出島11

※この建物内にも資料展示室があり画像数が増加したので単独記事にしました。その為これ以降の記事タイトルの番号を変更させました。
28旧長崎内外クラブ